こんにちは。中学受験100%ウカルログ管理人ことハンドレッドの友です。
よくある賛否両論として「過去問はいつから取り組むか?」というものがあります。
おっしゃる通りのハンドレッド。これは塾によって主張が異なるテーマですね。
娘の通っていた塾では6年の夏休みに第一志望の過去問を課されました。これは相当早い方だと思います。
一方、日能研のように「夏の間は赤本(過去問)を子には見せるな!」というところもあります。実際に解くのは10月とか11月以降だったりね。
過去に読んだ本でいえば「国語においては5年からでもOK」とあったかと思えば、「算数は殆どの子が11月以降にならないと難しい」と書いてある本があったり。
気になりますか?
今回は過去問を「早く解くメリットとデメリット」、過去問を「受験の味方につける」発想法をお送りしますよ。
「第一志望の過去問」という究極のブランディング
さっそくですが、過去問に早く取り組んだ「メリット、デメリット」は以下になります。
その1、過去問分析がしやすくなる。
その2、苦手を掘り起こしやすい。また、志望校に出ない問題を以降は避けることができるため、勉強のパフォーマンスを上げやすい。
その3、早くから着手する分、多くの回数、年度分を解くことができる。
その4、一方で、点数が悲惨なことになりやすい。100点満点中0点でモチベーションが下がる場合も。
その5、あまりに解けないと、解く時間のムダ。間違い直しも膨大すぎ直したところで理解できない場合も。
その6、早く解きすぎると「過去問」自体に飽きてしまう。
その7、入試が一回しかない学校だと、直前期に解くものがなくなってしまう場合がある。
先にデメリットから見ていきましょうか。
多くの塾が「早めの過去問対策をNG!」とする一番の理由は「その4」とか「その5」あたりにありそうですね。
出来なさ過ぎると効率が悪いわけです。
だったら、先に「基本問題がっつり固めた」方が良い結果をもたらしそうです。「さすがに、0点はないだろ!」と思うかもしれませんが、偏差値67の麻布志望の子が夏に解いて「0点だった!」なんて話も聞きます。その子は半年後に合格しましたがね。
確かにその可能性もありますよ。
個人的意見でいえば、「女子校で偏差値50前後」なら「5年生での応用レベル」という印象です。
ただし、中堅校でも難題を出す学校もありますし、女子学院のように御三家だけど「問題そのものは比較的取りやすい」学校もある。
その辺、塾の先生レベルでないと細かな判断は難しいわけですが。
実際には入試問題自体は4年、5年のテキストにも市販の問題集にもバンバン出てきます。
また、子の塾に限ったことではないと思うのですが、6年前期の授業でも、さまざまな学校の過去問をランダムに解かせたりもするわけです。任意の過去問まるまる解かせることもある。
クラスに合わせたレベルだからでしょうが「10点とか20点の人ばっかり!」なんてことは意外と少なく「半分から7割くらい」は取れていたりもする。
それでも「過去問」は受験業界において神聖化されています。
特に第一志望の過去問は『顧客にとっての価値』を最大限に挙げていくブランディングのよう。
勝手に「家でやったり」すると間違いなく怒られます。
一方で、この「もったいぶり」が6年後期に功を奏します。
どういう意味かと申しますと、子どもの方が過去問を「有り難がる」わけです。
ただの勉強、しかも、かなり面倒くさい勉強なわけですが「ついに!自分は解いている」「あの幻の過去問を解いている!」みたいな気分になるらしくてね。
テキストの問題は解きたがらないけど、過去問は解きたがったり。置き替えますと、ボジョレーヌーボー解禁にでも近いのでしょうか。
「なぜ、塾はなかなか過去問を解かせないのか?」
「全然できない場合の効率の悪さ」を意図してのこともあるでしょう。
が、「もったいぶることで6年後期の起爆剤とする」脳科学的アプローチもあるのではないかと、ひそかに思ったりもするわけです。
早く解くデメリットは子どもの飽き?
話を戻しますが、過去問ボジョレーヌーボー説について。
おっしゃる通りのハンドレッド。
子どもというのは飽きるのが早いのです。うちでは3回目、4回目と回を重ねるうち「過去問の価値」は急速に下がっていきました。
回を重ねるごとに点数が伸びる場合なら、それ自体の満足度からモチベーションは維持できるでしょう。
が、回を重ねるごとに点数が下がっていくような場合はそりゃ悲惨です。
うちの場合、早く解いた一番のデメリットはこの「飽き」でした。
過去問って4科目あるわけで、一気にやると半日潰れる長丁場です。しかも、解く場所は自分の家。積み重なったDMだらけのリビングであったり、セキセイインコのポーちゃんがクチャクチャ喋ってる中で問題解いたりするわけです。
以前、記しましたが、過去問を解く場所は時々変えた方がいいような気がします。
困った末に、区の公民館を使ったり、塾の先生に頼んで自習室で時間だけ計ってもらったりしましたね。
あとは図書館やら、ママ友と結託して「友人の家で一緒に解く」やら。もしかすると、カラオケボックスなんかも集中できるかもしれません。車内で本を読むと集中できるのと似た原理で、適度にザワザワした感じがね。もちろん、適度ではない可能性もありますが。
過去問は「勉強量を減らす」ための最大のツール
それについては40行くらい前に書きました。最たるは「過去問の分析がしやすくなる」こと。
分析できればどうなるのか?
「志望校に出題されやすい分野」のみ、勉強すればよいことになる。
逆に「出題されないような分野」はこれ以降、勉強する必要がなくなります。
何をいまさら、ハンドレッド。誤解を恐れずに言いますよ。
「中学受験の常識は一般社会の非常識」です。
でなければ、「小学生に一日8時間も勉強」させて平然といられる親はいません。いえ、正確には平然としてはいられないからこそ「学び」の本質を無視するに至るのですがね。
小6以降は「やることを減らす」「勉強量をそぐ」「志望校に出ない勉強はしない」
それに尽きます。
中学受験の勉強量は減らしても、減らしても、減りません。減らしたところで多すぎるからです。だとしても、親は減らす努力をしなければ。
そのヒントがあるのが過去問です。早く解いた方が勉強のムダは減らせます。もちろん、過去問の分析は厄介ですし、「出題されない」からといってゼロにするのも難しいかもしれません。だとしても、親は減らす努力をしなければ。
赤本には出題傾向の表が載っていたりしますからね。
が、実際のところ、その考えは甘いのです。例えば、ある年の吉祥女子の赤本。社会の出題分析表を見ますと「日本地理 総合問題〇」となっています。「日本歴史 総合問題〇」ともなっています。総合問題が「よく出ますよ!」ということです。
さて、われわれはいったい、この表から何を読み取ればよいのでしょう? 歴史の何を捨てればよいのでしょう?
過去問は「実際に解いてみないとわからない」ことが多いわけです。逆に言えば、「実際に解いてみたらわかる」ことも非常に多い。もちろん、早く解いても「解きっぱなし」ではこの恩恵には預かれませんがね。
過去問は「合格点に届くか、どうか」に焦点をあてがちです。私自身、そこに焦点をあててきたからこそ『絶望の過去問シリーズ』を書き得たわけですが。
ですが、この過去問の真の素晴らしさは「勉強した方が良いこと」「勉強しなくて良いこと」をあぶり出すことです。
「小6生の貴重な時間を効率化すること」です。
塾がもったいぶって崇めたてまつる理由もわからないでもありません。
実際のところ、塾に通っている以上「過去問をいつやるか?」は塾のカリキュラムに合わせるしかありません。
けれど、過去問それ自体の価値を、「合格ツールとしての価値」を、肝に命じているかどうかで親のその後の行動は違ってくるような気もします。
「点数取れたか、取れないか」で一喜一憂するためだけのツールではなし。これは早く解いても、遅く解いても同じこと。
10回連続で取れなくても合格した人間が言うのだから伊達ではありませんよ。
※当ブログが本になりました!合格率20%でも全勝、凹みメンタルに効きますよ。