さて、絶望の過去問1、絶望の過去問2、絶望の過去問3と絶望し続けてきた絶望マザーですが、シリーズ4回目、最終章はついに希望へと変わります。
確かに、その方が引きもあるでしょう。ですが、終わった今だからこそ言えることで現在進行形なら心臓に悪すぎです。
前回、最後の段落で「あなたが動けば世界は動く」という、スタートアップ企業の社訓のようなことを語りましたが、実際に動いたその続き。小6女子、吉祥女子志望のその続きを綴りたいと思いましょう。
※ウカルログがkindle本になりました!
過去問に中だるみしたら公民館に行きましょう
時系列にして6年12月の頃です。夏から取り組んでいた過去問は、新しいものが第3回分を残すのみとなりました。
20年近くもの過去問を入手したものの、社会など丸ごと使えるのは遡って5年ほど。理科にしてもある時点から傾向が変わっています。使える過去問は残り少ないのに、完成度は低い。母は焦っておりました。
それを書くのを忘れていました。早くからやり続けたデメリットの1つに、過去問自体に飽きてしまうことがありましょう。
初回の頃は、解けようと、解けまいと、志望校の過去問といえば子はモチベーションが上がるものです。が、だんだんと「過去問?また?」といったムードに陥りましょう。要は中だるみです。取れない、取れないが続くと特にですが、問題に対する粘り強さも失われていくように思います。
しかし、これではダメでしょう。
初期の頃、自宅で時間を計ってやっていたのですが、変化が欲しく、中途からは塾の先生に頼み、自習室でやらせたり、公民館などを借りて解くこともありました。
公民館は安いですし、おススメですよ。家で解くよりも点数も若干上向いた気がしましょう。わずかばかりですがね。うちは実行できませんでしたが受験仲間で公民館に集い、一斉に過去問を解くのも変化が生まれてよさそうに思います。
合格者平均点越えははるか彼方・・・
話を戻します。小6の12月、国語は2回に1回はまずまず、算数は乱高下激しく、理科は半分取れれば上々で、理科をカバーすべき社会なのに理科と変わらない点数というありさま。そんな状況でした。
国語がまずまずの時は、算数か社会の1科目が良ければ合格者最低点に届きそうでした。国語がまずい時は、算数と社会、両方が良くないと最低点すら越えそうにありませんでした。
それを今さらいうのがハンドレッド。おっしゃる通りでしょう。
入試本番は異様な空気に見舞われましょう。その異様さのなか、合格点を勝ち取らねばなりません。家でちんたら、ノーメイクで髪ぼさぼさの母に見守られながら過去問解くのと大きな違いがあります。
それも一案でしょうね。本番の緊張感を踏まえると合格者最低点では心もとないと言われます。そんなギリギリではね。合格者平均点を超えてないとね。
しかし、最低点すら取れたり、取れなかったりの親子の場合、そんなことは言っていられません。最低点ギリギリだってありがたかったのですよ。
間違えた過去問を母が解き、参考書化する
ともあれ、最低点を確保するため、母は何をやったのか???
算数は正直なところ、親ができる地点は過ぎた気がいたしました。
一行小問は20年分くらい、大問も全てではないですがかなり遡ってやってきたのです。けれど、ブレイクスルーは起きない。
視点を変えるような問題、吉祥に似ているけれど吉祥以外の問題、具体的に言えば塾に薦められた「淑徳与野」の問題を年末年始としゃかりきに解かせた。プラスアルファで行ったのはその程度であったはず。
一方の社会。社会は模試などでも上々であったため、親はほぼ放置しておりました。上々であったはずの社会、なのに吉祥社会の過去問はボロボロ。となると、やることは一つです。
その詳細は吉祥社会分析の項に譲りますが、子の間違えたところ全て、親が解き直しました。解いたうえで、その問題に関連する参考書のコピーや類題を貼り付けました。
なお、こうした作業を一日中やっておりますと、だんだんと気持ち悪くなってきます。
塾で10時間近く勉強している子に向かい、同じことは言えませんが、勉強から長く離れた母は過去問を10時間分析し続けると、どうしても気持ち悪くなるのです。
しかし、気持ち悪さと引き換えに私には見えました。吉祥社会の合格のツボが!ユリイカとはまさにこのこと。
学校にもよるのでしょうが、吉祥社会の傾向はしごくはっきりしておりました。解き続けるうち、出題者の好みを分析している気分に。出題した先生の「一番の理解者はこのわたくし!!」快哉をあげたくなる不思議な体験でした。
この親ばかめ!という内心が透けて見えそうな態度ですこと。
けだし直前期です。「親がやってどうする!」みたいな正論はとうに通じない時期に入っていました。
ともあれど、この間違い過去問の参考書化がうちのブレイクスルーの一つになったわけです。野村先生のスタディアップという地盤もありましたがね。
過去問参考書は毎日子に解かせ、何度も読ませました。冬休みから受験直前までですね。
するとどうでしょう!社会が上がり始めたのです!!もはや、うさんくさい教材広告の体験談みたいですが本当ですよ。
70点中30点台が常連だった社会が50点を超えるまでに成長したのです!!
正直なところ、最初はそう思いましたよ。しかし、過去問やら貼り付けた参考書やらの著作権的に販売はムリなのです。しかし、気持ち悪い思いをしてまで作成した過去問参考書。作成したのに二度と使わぬ過去問参考書。これら吉祥志望者のためのポイント解説は絶賛公開中です。
なお、吉祥以外を志望される方は気持ち悪さに耐え、親が子の間違いを解いてみましょう。
カネに糸目をつけない向きは家庭教師を雇いましょう。子の勉強を見てもらうのではなく、子の間違えた問題を解かせましょう。そうして、過去問の分析と参考書化をお願いするのです。
いくらかかる?いくらかかるのでしょうかね?? しかし、費用体効果としては勉強を見てもらうより、そちらの方がパフォーマンスがよい気がします。
理科が完成したのは2月1日の一週間前だった!!
社会が合格者平均を超えたのが、ぎりぎり一月受験が始まる頃合い。同じころ、懸念の算数も合格者平均の7割を遂に超えました。
というわけで、算国社、三つ巴の合格者平均点超え、もちろん、四科でも合格者平均点超えとあいなりました。
子の成績とは唐突に上昇するのですよ。この事実を受験母は知っておいてください。
子の場合、算数の起爆剤は塾の冬期講習でした。休み中ずっと吉祥似の算数を解き続けたことで娘のなかの何かが爆発したのです。
おっしゃる通りのハンドレッド。
ここで言いたいのはムダな努力はないということです。実際には4年時に還元算を11か月続けたことはムダだったかもしれませんが、それらのムダな努力がやがて実力の一端になる気がしますね。
過去問は古い年度のものしか残っていなかったのですが、合格者平均点越えは嬉しいものでした。18回目にしてようやっと、といったところでしょうか。
わずかひと月前は「落ちる気しかしなかった」わたくしですが、受験日まであと半月となっていたこの時は「落ちる気がしなくなっていた」のです。
何か神がかったかのように「落ちる気がしない」。これはこれで怖いものではありましたが。
残すは理科だけですがもはや多くは望みません。70点満点中30点以上取れればよい。いっそ合格者最低点でもよい、くらいに考えていました。
そんな理科がピークに達したのは1月25日とか26日とか。中学受験本番の1週間を切った頃です。
古い過去問ではありましたが連続で40点以上をマークするようになったのです。
合格者平均点は50点前後。しかし、普通の顔して20点台を連発した娘には上々、上出来でしょう!!
絶望が絶望のままに終わらず、面白くない気分は重々承知のハンドレッド。しかし、わたしは感無量。その時、感無量といったていでした。
ともあれど。
パソコンの前のあなたの今が何月なのはわかりません。けれど、ギリギリのギリギリでどうにかなる受験生は母が思うよりずっと多いのです。
おっしゃる通りのハンドレッド。絶望シリーズ最終章で一番言いたかったことはそこなのです。そのキモは怪しい商材広告のような「点数上がりました!!」報告ではございません。
なお、二番目に言いたかったことは「母が動けば世界は動く」!!
わかりましたか?
母の直感を信じて行動してください。もちろん、父の直感でもいいのです。動きますよ、本当ですよ。絶対に動きます。
※当ブログが本になりました!合格率20%でも全勝、凹みメンタルに効きますよ。