こんにちは。中学受験100%ウカルログ管理人ことハンドレッドの友ですよ。前回、中学受験のデメリットをあげましたが、今回はメリット編です。
せっかくですから、今回は中高一貫校に子が通う立場として考えてみたいと思います。
それも気になるところでしょうね。
受験を終えた親子が、改めて「やってよかった中学受験」を考察しましょう。中学受験を始める方たちだけでなく、これから中高一貫校に進学する皆さんにも参考になるかと思いますよ。
なお、これから中受なら早めに塾カリキュラムのゲットを推奨。特に関西圏なら浜学園の紙資料はまさに神です。Webにはない網羅性で難関中受の何たるかもわかります。
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中学受験生の未来をつくる。【中学受験】進学教室浜学園
中高一貫に入学した娘を見て思うこと
それがそうでもないのですよ。
最たるは「高校受験がない」こと。子どもの立場でいうならば「青春謳歌度が高くなる」こと。
「高校受験がない。それ、何度も聞いたよ」、スマホの前のあなたはお思いでしょう。今さら語るまでのないメリットです。付属ならさらに「大学受験」もないわけですしね。
しかし、この何度も聞いてきた話は中学生の親になると本当にグッとくるのですよ。
それは余計なお世話というものです。
娘は中学受験時代、「理科だけ学習障害では!?」と疑いたくなるほど、理科ができませんでした。それは中学に入っても変わらず。
中学の勉強はほぼ子どもに任せきりですから、ますますダメになっていることでしょう。娘の理科は中高6年間で一度たりとも学年平均を超えることはないであろうと予測しています。
高校受験があるのなら、おっしゃる通りのハンドレッド。
けれど、われわれには高校受験はないのですよ。国公立は既にあきらめ、将来は難関私大一択です。
だからといって「理科はもう結構」などと言いますと、「その考えは間違っている」と返されそうですがね。おっしゃる通り、教育は受験のためだけに行うものではございません。
しかし、娘は気づいてしまいました。高2までは英語さえ、英語さえ上位につけば文系私大狙いならどうにかなるということに。
その他の時間は部活と遊びとオシャレに費やせるという青春謳歌度の高さに。
現実を知り「やっぱり高校受験って重要では?」と再考するのも良いと思いますよ。皆さんが気になるであろう中高一貫生の中だるみも当然、ありますしね。
子の中だるみを「高校受験がないからいいか」と捉える向きもいれば、「高校受験がないとダメね」と捉える向きもいるでしょう。書いたそばから「自分は後者ではないか?」と思う今日この頃ですが、それはまた別の話ということで。
余談ながら、中学受験マンガ『二月の勝者』には、塾講師である主人公が「中学受験は(難関大学への)特急券です」とのたまい、ヒンシュクを買う場面があります。
ですが、個人的にはそれも道理、言い得て妙という気がしますね。
高校受験組が5教科がっつりやる時期に、中高一貫生は英語や数学に集中投下し、大学受験の基礎固めが出来るわけです。これはもう、有利なんてものではないわけで。
中学受験を経て、子どもはホントに賢くなるのか?
これは書いたものか迷うところですが、中学受験で毎日長時間勉強してきた子どもが中学に入っても同じ勢いで勉強できるとは限りません。というか、ほとんどの子はムリです。
同じ濃度を求めるなら、答えはNOでしょう。けれど、それは「燃え尽き症候群」などという大げさなものではないです。いたってノーマルなことなのです。
小6で最大化した勉強時間は中1でガクンと減り、中2、中3でさらに減り、さすがにヤバいと親も本人も思うのか、高1、高2でやや微増、高3でやっと小6時の最大勉強時間を超える感じになりましょう。
子の周囲を見る限り、中学受験でメチャクチャ賢かった子が中学時代も同じポジションにいるとは限りません。「難関校に通いながら、その赤点ときや!」みたいな子もたまにいます。
おっしゃる通りのハンドレッド。
この辺りは「どんな賢い子でも勉強サボれば赤点に!」くらいの意味で捉えて欲しいですね。
メリットとして言いたいのは、赤点組でも話せば知性が見えることです。
中学受験を経た子たちの一番わかりやすい賢さは「語彙の豊富さ」や「一般常識の有無」にあると思います。
中受でつめこんだ大量の語句に、ことわざに、故事成語に、受験終了後に半分は忘れても半分は残ります。中受の頃は頭で覚えた言葉たちが、時を経て、普通の顔して日常会話に登場したりします。
ざっくり言えば「頭良さそうな言葉の選び方」をする子が多いのです。当人は「中学受験で習ったし!」とかは考えていないでしょうがね。
わが子の例になりますが、日本史であったり、日本各地の名産や景勝地は未だに詳しいです。
YouTubeとオシャレに夢中の、聞くだけで頭の悪そうな中学生ですが、史実ものには親より正確なリアクションを見せます。
また、知人から輪島塗のお土産をもらえば「石川県に行ったんだ。盛んだもんね」と、YouTubeから顔を上げずに返しましょう。
その反応の自然さに「メモリーチェック社会仕込みの知識」とは、よもや疑うものはいないはずです。
要するに「つめこみ式」と揶揄される勉強法は、もっと評価されてもいいということ。
単純暗記、大量暗記も3年間続ければ、自身の血や肉になっていきます。
もしかすると、そうかもしれないハンドレッド。
余談ながら、中学受験までは「反抗期といっても手に負える程度の反抗期」です。親子で大ゲンカして「今日は勉強ができなかった」という話もたまに聞きますが、遅くたって今日明日中には仲直りしましょう。
これが高校受験時、大学受験時となると、喧嘩したまま数日、数週間、数か月、ほとんど口聞きません、みたいな状況も決してレアではありませんよ。
親子で一緒に頑張れるのは中学受験がほとんど最後のチャンスだと思います。
親子の共通言語が生まれる中学受験
別の記事でも書きましたが中学生になると(特に女子は)友達や先輩など親以上にワクワクする存在を見つけ出しますね。
小学生までおそらく世界の中心だった親は、やがて世界の端っこの方へ追いやられてしまいましょう。
それもまた成長です。少し切なく思いながらも、個人的には「中学受験をやっておいて良かった」と心から思うわけですね。
「高校受験がない」「遊びと勉強面でのバランスの良さ」など中高一貫ならの特性も魅力ですが、やって良かった一番の理由はこの「子どもとがっつり共有の体験ができたこと」にあります。
おっしゃる通りのハンドレッド。
いったい何度子どもを罵倒したか、子どもに罵倒されたことか。いつかの話題になった「豊田真由子にママそっくり!」とまで言われたことか。
その一方、われわれ親子にはコーチとアスリートのような結束感も生まれました。
子どもの成長と停滞を目の前でずっと見てきたのです。ある時期までは「子どもが間違えそうな問題」はすぐにわかりましたよ。子どものミスをずっーと、ずっーと見続けてきたからですね。
ところが、やがて、その予測が外れ出す時がきます。「あれ?できたの?」
子どもの方は涼しい顔して解き終わっている。
おっしゃる通りのハンドレッド。
中学受験を並走しますと、そんな瞬間を何回も何十回も共有しますね。傍から見ると、ほんの些細な成長ですよ。
「ついに!長方形と台形を組み合わせた回転図形の表面積を一発で正解できた!」とか。「ついに!出会いと追い越しの周期性の問題が解けた!」とか。
だからこそ、です。
塾の先生はまた別ですが、親子間でしか通じないような共通言語が生まれるわけです。
点数取れたら子どもは嬉しい。親も嬉しい。けれど、友達に話したら自慢にしか聞こえないでしょう。
真に喜びを分かち合えるのは親子だけです。
それゆえバトルも起こるし、親もグログロ苦しい時もございましょう。けれど、裏も表も合わせこの一体感こそが中学受験の醍醐味だと思います。
なお、「勉強見てなきゃ一体感は生まれないの?」、聞きたいあなたもいることでしょう。
親が勉強を見るか、見ないか。その答えは何十通りもあると思います。見ていた立場から言えば、やればやっただけ返ってくるとは思います。
もちろん、他のすべてのことと同様で好き嫌いや向き不向き、ご家庭の価値観もございますね。
中学受験を選択した時点で、勉強見ても見なくても、親がやるべきことは片手では足りないはず。自分ができる範囲でベストを尽くせば、その背中を必ず子どもは見てくれます。
中学受験に対し「小学生なのに勉強ばかりで可哀想」という声もあります。それも正論です。私だってやる前まではそう思っていたことでしょう。
けれど、受験を並走した今となっては反論したいところでもあります。
実際に長時間勉強する小学生を目の当たりにすれば、その考えは変わりますよ、と。
対象が何であれ、自主的であろうと、たとえそれが受動的であろうとも、続けること、集中して続けること、それができる子どもたちはカッコいいのです。子どもたちはまた、入試日になると親を飛び越え、すっかり大人になりましょう。
勉強をする小学生は可哀想なのではなく、もっと称えられていいくらいだと思います。
中学受験生とは強く感動的な存在ですよ、と。