中学受験時、娘の理科はそれはひどいものでした。
反面教師にしつつ、同類相憐れむではないですが、理科絶望系のひとには希望を与えるかもしれません。
理科偏差値40台を連発しながら中学受験は全勝しましたからね。
今回のブログはいわば理科の勉強法の大失敗編。
理科の偏差値49以下限定ということにしましょうか。いっそ39以下くらいにしたいくらいですが、アクセスがますます少なくなりそうです。
ここで言う50は四谷や日能研偏差値ですが、本文中にはサピックスオープンの話も出てきますよ。
【4年生の理科はひどい】下位20%に突入。出来ない理由はやってないから!!
4年生のころ、理科の授業は週30分程度でした。毎月のテストも合計2時間程度の授業の中から出題されます。ちょっと頑張れば取れそうな気がしますでしょう。
が、実際のところ、成績はパッとしませんでした。4年のころは一日1時間半程度の学習しかしていなかったこともあり、理科と社会はテスト前に少しやる程度だったのです。
(※結論からいえば、偏差値60志望くらいまでならこの作戦でよかったとは思います。4年時に平均そこそこであれば6年からでも十分間に合います)
ともあれ。娘は小4理科で平均を切ることの方がほとんどでした。最低はなんと偏差値39でした。
ハンドレッド先生のおっしゃる通り。
しかし、この時は怒るどころかネタとして笑っていたような気もしましょう。確か植物の回でしたね。植物は中学生になっても変わらずにできませんよ。
ともあれ、それまで真ん中だった理科のクラスは一番下になりました。
すると、娘は「小テスト、クラスで2番目だった!!」と喜々として帰ってきます。苦手者に自信を与えるためには「これも悪くないんじゃない」くらいに考えていましたね。
そう、4年から5年の夏ごろまでは理科の出来が悪かろうと、正直、なんとも思いませんでしたよ。
成績が悪い理由は「やっていないから」一択です。
逆に言えば、やればできるとシンプルに考えていたのです。
どうやらそうではないらしいと気づいたのは6年の春か。遅きに失した感すらありました。
【5年生の理科もひどい】あれれ、毎日やったのに偏差値48とは!
そんな理科の、本腰を入れ始めたのは5年の11月頃でしょうか。
テスト前にしかしていなかった理科の勉強を毎日30分程度はやるようにしたわけです。
当時の理科偏差値は50前半で推移していました。
が、5年最後のテストはやったのにも関わらず、偏差値48に沈みました。4年時からの見慣れた数字ながら徐々に暗雲がたれこみ始めます。
そのどちらがマシなのか?
子の努力を認め後者に軍配をあげたいところですし、あなたのお子さんなら間違いなくそれを推奨しましょう。
けれど、当事者となるとなんともイヤーな気分が胸中グルグルグルグル渦巻きます。「やったのにできない!」という現象は大嫌いです。
【サピックスの理科がひどい】なんと偏差値34だった!
まったく思い出したくもないことを。
5年の間の範囲なしの理科の模試は最悪の一言でした。
サピックスオープンで偏差値34
四谷の志望校判定テストは偏差値45
塾の実力模試でも偏差値45とか。
これで偏差値60校を目指していただなんて。(※ しつこいですが無事受かりました。なので、理科で偏差値40とっても大丈夫ですよ???)
ともあれ、この時は「まだ5年生である」というエクスキューズがあったわけです。
ほとんど全ての単元が未定着。4年時で唯一得意であった電流すらも、反復を怠って基本問題すらつまづくレベルに落下。
範囲なしだから仕方があるまい、そう納得するしかありません。
一方、この時の計画では6年春には公開模試でも偏差値50台に載せるつもりでした。
秋以降には55以上。残りの3科目が順調に推移すれば第一志望校は安全圏に入る目論見だったのです。
が、5年最後の範囲の決まった塾内テストですら未だ偏差値48。
毎日勉強してんのに平均点も取れないとはいったい全体どういうことなのか??
やっているのにできない。
わが子の場合、算数でも「二度間違えた問題を永遠に間違える現象」をたびたび起こしました。けれど、子どもの理科のできなさ加減はさらに根深いものだったのです。
【6年生の理科もひどい】ああ、週テストですら40点って!
6年に入り、理科のカリキュラムはハードさを極めました。
週テストは『コアプラス理科』のまるまる一単元なんてこともザラ、暗記事項が週に300を越えることも珍しくありません。
これは4年、5年としっかりやってきた子にとっては良き反復となるでしょう。しかし、わが子のようなレベルだと「ほぼ初めから覚える」に等しいのです。
おっしゃる通りのハンドレッド。
子の理科力が「2年間、塾に行かなくても同じであった」とは思いたくありませんよ。
10個習った中の、1個か2個は覚えていたことでしょう。
しかし、やはり、あとの8個か9個は覚えていないのです。テストを見ると、そうとしか思えないのです。
ある時、「てこ」の週テストが行われました。
合格点は100点満点中70点。
2度続けて下回るとクラスを落とされてしまいます。娘はすでに前週で70点を切っていました。
4年の時は喜々として通った下位クラスも6年になるとさすがにイヤらしく、結構まじめに勉強していました。
1週間にテスト範囲を回すこと2回半。
コアプラスは赤シートでのチェックだけではなく、教材をコピーしてちゃんと筆記で問題を解いたりね。お風呂に持ち込んだりね。
さすがにこれだけやれば大丈夫でしょう、母は思いましたよ。
が。
小テストは100点満点中40点でした。
愕然とした母は塾に電話をします。「理科がどうしても取れないこと」「夏休み前までは社会の時間を削って理科の勉強に回したいこと」等々、とうとうと語りました。
週テストの点数を見て先生は言いました。
「そもそも40点というのは。取れる、取れない以前の問題ですよね。まずは、コアプラスで最低限の暗記をしないと……」
「いやいやいやいやいや、違うのです!!」
「サボって取れなかったわけではありません。コアプラスを2回半も回して、だけど、40点だったのです!!」
先生は絶句。
もしかしたら、内心「子の言い訳を親が信じているパターン」と思っていたかもしれません。
本当に、そうであったのならどんなにか。
しかし、その時は親自身が2回半問題をコピーし、親自身が2回半マル付けをしていた。子の言い訳ではなかったのです。
6年夏までに化学の計算克服作戦!が、これまた絶望的……
話が前後しますが、週テスト対策と並行し、自宅では6年生の春休みから「化学の計算」特訓をスタートしました。
第一志望校は「化学の計算」が頻出です。が、子はその時点で中和の計算をすっかり忘れていた。
5年時のテキストを引っ張り出し、6年4月は毎日、欠かさず中和の問題を解きました。
計画では5月には食塩水の濃度計算、6月には気体の発生などとスライドさせつつ夏までに化学の苦手を克服しようと思っていた。
秋に、面倒くさそうな化学計算を持ち越したくはなかったのです。
そうでしょう、そうでしょう。
しかし、その戦略はあくまで「やってりゃ出来る」の発想に基づいたもの。
やってもやっても出来ないことなど想定してはいませんでした。
おっしゃる通りのハンドレッド。
まず、6年4月の塾の模試。
中和問題も出題されました。
あれだけやったに関わらず、基礎を含め娘はそこを落としました。
親の怒りは省略しますよ。
予定では、その後食塩水の濃度問題に入るつもりでしたがそれはあきらめ、中和問題を反復します。
6年5月。
もう大丈夫だろうと、5年時の小テストを解かせました。中和のごくごく基礎問題です。9割は取れてほしいところ。
しかし、6割程度しか取れませんでした。
ハンドレッド先生、あなたはきっと、2度間違えた問題を永遠に間違える現象だとか、子どもの勉強を見るとムカムカしてくる話のことを言っているのでしょうね。
6年に及んで実験キットを購入!酸性のはずの炭酸水が中性になる!?
で、われわれ親子はどうしたのか。
この期に及んで、学校向けの実験キットを買いあさりました。
そもそも化学は実験が主役です。ペーパーだけで覚えられるわけはない、そう言い聞かせ、ある日曜日、水溶液の実験を行いました。
食塩水とか酢とか炭酸水をリトマス紙につけて「酸性・中性・アルカリ性」を調べるアレです。
実験の最中、娘は楽しそうでしたよ。
「そうだよね。こういう体験が少ないのにテストは取れとは酷だったね」と内心反省いたしました。
が、このキット、安かったからでしょうか。それとも、私のやり方が悪かったのでしょうか。
「酸性」であるべき「炭酸水」が「中性」になりますよ?
何度やっても「中性」です。
炭酸水って中性だっけ??酸性ではなく中性?
いやいや、バカな!
私は子に言いました。
「ここでは中性になってるけどほんとは酸性だから。いい?炭酸水は酸性。ちゃんと覚えてね!」
塾の面談で私は再度、理科の現状を伝えました。炭酸水が中性になってしまったことは言いませんでしたけどね。
担任は算数の先生だったのですが「化学なら見られますよ」というので毎週授業後にチェックしてもらうことになりました。
※炭酸水中性問題を受けての、24年振り返り。
しょぼい実験キット買うなら、以下の実験レシピ本を先に買いましょう。
水溶液の実験は100円ショップで売ってる紫イモの粉とスポイトがあれば、毎日だってできそうです。実験後は渋幕の入試問題で記憶定着とくる。
なんて!過去問対策になりそうな構成なんでしょうか。Amazon高評価通りの良書です。なんで!当時なかったのか……。
それでもできない6年理科、正答率80%の問題を落とす
絶望理科の続きです。
「やっているのに取れない」状態は日を重ねるごとにひどくなっていくようでした。
悪いといっても偏差値50前半はあった5年後半、それが6年になると範囲の決まった模試ですら40台が常態化していきました。
むろん、6年の模試範囲はあってないようなもので、3、4単元のミックス。
娘にとってキツイのは重々承知、この時期に習得しなければまずいわけですから。
焦りにかられた母は、
社会の自宅学習を平日1日30分→15分→10分と短くする。
その分、理科には1時間半以上を費やすようにした。
結果。6年6月の塾の模試は。
理科偏差値46、社会偏差値46!!
もはや、何をかいわんや!!という状況。
やってもやらなくても同じ偏差値。
比較的得意だった社会を引きずり落として同じ成績。
理科としては満足でしょうよ。
断っておきますが「やっていない割にいいんじゃない?社会」みたいな慰めは結構です。
同じ頃に受けた日能研の模試もひどいものでした。
ええ、ありますとも。
6年6月。日能研の模試は理科以外は悪くない成績でした。今、わたしは保険を掛けましたね。イヤな性格でごめんね。
ともあれど。
理科の偏差値は42でした。
読んでるあなたも、この展開ばっかで段々飽きてきたことでしょう。だけども、その内容が悪すぎでした。
テスト終了後「理科、わけがわかんない問題があった。あんなの、みんな、できないよ」と娘は言い訳しました。
しかし、その「みんなができない問題」はなんと正答率80%!
流行りの現場志向型……といえば聞こえはいいものの、問題の整理さえ出来れば、お受験組の幼児でも解けるような類の問題でしたよ。
いったいどうしたものか……。
対策も見えないまま、とりあえず、目先の週テスト対策と化学の計算問題にいそしむしかない日々だったわけです。
理科、二模試連続・偏差値40前半に幽体離脱
学習結果が現れるまでにはタイムラグがある。
よく言われることですがタイムラグが長すぎました。既に半年以上、理科の勉強をしているのに結果が出ないとはタイムラグにも程があります。
7月の合不合ではなんとか挽回してほしい。しかし、そんな願いも潰えます。
ええ、ありますとも。でも、今日はこれで最後にしますよ。
7月には第一志望校を会場にした合不合を受けました。夏休み前の大事な模試です。
だのに、理科の偏差値は……
またしても43でした。
そうですとも。
6月の日能研42、7月の合不合は43!
なんだかもう、なんだかもう、理科なんてやってもやらなくても同じです。ええええ、きっと、そうでしょう。
半年前は勉強せずして40半ば、その半年後にはしっかり勉強して40半ばを切っているのです。
夏を前に、すっかり絶望系でした。
が。
合不合の成績表をよくよく見ますと、一点だけ良い兆しがありました。
理科の偏差値は43でしたが、化学分野のみ60を超えていた!のです。
植物分野は偏差値34でしたがね。
ともあれ、化学計算特訓がついに実を結んだようなのでした。
一筋の成果を残して6年夏休みに突入です。休み明けの合不合では、今度こそ今度こそ50を超えなければなりません。当初考えた思惑と異なり、なんと低い目標でしょうか!
けれど、必ず、達成しなくてはならない。親自身、嫌いだった理科、しかし、娘ともどもどっぷり浸かる覚悟でいました。
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