こんにちは、中学受験100%ウカルログ管理人ことハンドレッド先生の友です。
偏差値60台の中学を目指していたにも関わらず、娘の理科ときや幽体離脱しそうなほど最悪でした。その最悪から脱出すべく、6年夏には100時間以上の理科集中特訓を行いました。
それらの話は各自クリック先、今回はその続き「はたして、その勉強の成果は!?編」となりましょう。
夏休み明けの合不合、まさかの理科
さて。
中学受験生の最重要イベントの一つ、四谷大塚「合不合判定テスト」は6年4月から12月まで全6回。
9月から12月までは毎月の開催となり、受験生の立ち位置を知る指針となります。
なかでも、保護者に緊張を強いるのが休み明けの9月!!
塾でへろへろになるまで勉強した夏休み明けの合不合です。結果が出て当然です。多くの親がそう思い、多くの親が失望します。
娘の試験会場は実際に受けることはないであろう、豊島岡でした。親の方は池袋のジュンク堂でこの期に及んで学習参考書を見てたりね。ともあれ、祈るような気持ちで待つばかり。雨の日でしたね。
正直なところ、イヤな予感がありました。ジュンク堂で本を取ろうとした時、隣の人の鞄が腕にちょっと当たったのです。
それだけです。
よくあることですし、痛くもかゆくもないわけです。鞄が腕に当たることと娘の合不合の間の相関関係もゼロ。にも関わらず、その際に突如として沸いてきた、ヤーナ予感。心中うずまく説明しがたいヤーナ感じ。ああ、どうしたらよいのでしょう。
秋の時点では鍛錬が足りなかったのですよ。
話を続けます。試験終了後、会場の豊島岡に迎えに行くと、娘は浮かない顔をしていました。「理科、むずかしかった」。
母は沈黙しました。
子の「できた」ほどあてにならないものはない、だったら「その逆の方がまだよいのでは?」とかね。的中しそうなイヤな予感をなんとか追いやろうとね。
ちょうどお昼時、入った店で娘はやおら自己採点を始めました。算数は悪くない、社会も悪くない、国語は合不合と相性が悪いからこんなもの、そうして、理科――。
ここで参考までに、書きたくもない数字をおさらいしておきましょう。
7月の合不合・理科は100点中36点でした。
これを受け、夏の間われわれは100時間勉強しました。
その結果は??
またしても、100点中36点!!
いったい何のセンスでしょうか? その当時なら「センスのありか」を本気で教えてほしく思ったでしょうね。
ともあれ、36点では絶対に、絶対に、平均点は超えません。
「100時間も勉強した」のに、「天体合宿」も企画したのに、「偏差値60台の学校を目指している」のに、「もう6年の9月なのに」平均すら超えることができない。
母は沈黙しました。いつもはギャアギャア怒るタイプの親ですから、娘は相当怖かったはずです。
あああ、安全地帯に入ったはずの化学まで
数日後、合不合の結果が出ました。理科は娘の自己採点通り。
偏差値は44。夏前に比べると1ポイントアップです(怒)
子の頑張りを知っていた塾の先生は、さすがに絶句しましたね。
点数だけではなく内容も最悪でした。
6月の日能研、7月の合不合とも化学だけはよくできていたのですね。
ために、化学は「安全地帯」に入ったと思い、当初予定していた夏の学習時間も大幅に削ったのです。
が、その化学もボロボロでした。
整理さえできれば解けそうな問題から間違えていました。
もちろん、「化学」以外もまるでダメです。第一志望の出題傾向から後回しにした「植物」や「電流」が出たのなら取れなくても仕方がありませんが、そんなエクスキューズの要素も一切ナシ!!
塾の先生は合不合の理科を調べ、今回は難しめであったこと(確かに平均点はいつもより低かった)、「夏の勉強の成果は9月ではなく10月に出るケースが多い」ことをとうとうと語りました。
もちろん、その説にすがりましたよ。が、だからといって今の今、子の出来なさが救われるわけではありません。
以下↓
前回の「6年夏、苦手な理科を100時間勉強する編」から。ハンドレッド先生は縁起でもないフラグを!
確かにね。
同じ頃、過去問の理科の点数も下がり始めておりました。
子どもの塾は志望校の過去問を夏から解かせる方針でしてね。初回、2回目の過去問はその時点で70点中40点。この子にして上出来です。
「これはイケるのでは?」
しかし、期待したその直後、19点とか20点を連打。その後もよくて30点。たかだか40点ですが40点なんか金輪際取れないような気がしていたのです。
おだまりなさい、ハンドレッド。
私自身、当時の成績表を見直してみて、改めて文章にしてみて、あまりの出来なさに困惑しているわけです。
以前もどこかで書いたような気がいたしますが、実は、当時は娘がそこまで出来ないとは思っていなかった気がするのです。理科が悪かろうと、6年11月くらいまでは「絶対ウカルだろう」くらいのことを本気で思っていたような。
もし、過去の自分にアドバイスをするとしたら「志望校、考え直せば?」でしょう。逆にそんなこと、露も思いもしなかったからこそ合格したのかもしれませんがね。
ともあれ、それは5か月後の話。この時点でその先の未来はわかりません。
合不合の理科で絶望した週、しかし、そのことには触れず、子の勉強ノートにこう記していました。
※はたして、絶望マザーの絶望はいつまで続くのか? その先の未来はこちら。