こんにちは。中学受験100%ウカルログ管理人ことハンドレッドの友ですよ。今日は中学受験に「向く子」「向かない子」について考えましょう。
おっしゃる通りのハンドレッド。
教育のプロの人たちがいう中学受験に向く子の特徴とは「知的好奇心が高い」とか「自主性がある」とか「学習習慣がついている」とか「体力がある」とかね。
「素直である」と同時に「精神年齢が高い」とかね、「勉強が好き」で「どうなりたいという目的意識がある」とかね。「人の話をちゃんと聞ける」とかね、「競争が好き」だとかね。
何故に、こんなにハードルが高いのか?
これらは中学受験でも「トップ・オブ・トップ」を目指す子の特徴でしょうね。けれど、中学受験はトップ・オブ・トップばかりでなし。
結局のところ、個人的には「向く、向かない」「後伸びするか、しないか」は子どもの資質よりも、家庭環境や親の考え方の方がもっとずっと大きい気がしました。
というわけで、今回は個人的体験をもとに中学受験に「向く」「向かない」を考えていきたいと思います。
塾の面談と小学校の面談、陰と陽くらいの違い
小学4年生の頃、塾の面談がありました。当時の成績は国語以外フツー。一番ガツンと行って欲しい算数もパッとしなかったわけです。
で、面談の詳細は忘れましたが先生に言われて、驚いたこと。
先生「〇〇さん(子の名前)は勉強が好きというタイプではないので、ガツガツやらせず少しづつ云々・・・」
いえいえ、まさか。
わざわざ「勉強が好きというタイプではない」と言われたことに驚いたわけですよ。
そんなの、ほとんどすべての小学生に当てはまるでしょうが。「注射が好きというタイプではない」というくらいに当たり前すぎです。
それをわざわざ強調するということは、塾には「勉強が好きな子」がそんなにたくさんいるのか?
だからこそ、「中学受験に向く子の特徴」があれほどまでにハードルが高いのか、と。
受験塾に行くような多くの子と同じように、娘の学校の成績は良かったわけです。小学校の面談は「ほめ殺しか?」という塩梅。「勉強のよくできるお子さんで……」みたいな扱いだったのに。
そんなことはないですと言いたいところですが、塾と小学校の面談は当初「陰」と「陽」でしたよ。「塾入って現実をシル」みたいな感じもあったのかもしれませんね。
「あと伸びする子」の特徴といっても
さて、冒頭の「中学受験に向く子」に近いバージョンで「あと伸びする子」というママ殺しのフレーズがあります。
本屋の「育児」だとか「学習」「子どもの教育」コーナーに行くと同タイトルの本を数冊は見つけられそうです。
「あと伸びする子」は、たとえば、次のような特徴を持ちます。
◎「なぜ?」「どうして?」と不思議がる心
◎知ることを「嬉しい!」「楽しい!」と思う心
何ですか、その投げやりな反応は。
私自身、子どもにこうであって欲しいと願っていたフレーズでもあります。ファーブル少年のような、赤毛のアンのような。
中学受験を志す以上、この2つって根底にあって欲しい気がしていたわけです。
おっしゃる通りのハンドレッド。
理科でも算数でも「なぜ、そうなるか?」を考えることは大事ですね。幼児期であるとか、小学校低学年であるとか、その発想を伸ばそうと腐心した時期もありました。
しかし、試みはとん挫しました。その点、親の力不足かもしれないし、子どもの資質だったのかもしれない。とにかく「できなった」という事実だけが残りました。
わが子はファーブルにも赤毛のアンにもなりませんでした。
「なぜ?」「どうして?」はナシ。目をキラキラ輝かせながら「知りたい」と思う気持ち、ナシ。
だから、理科がダメだったわけですが。算数に関してはまずまず得意にはなったものの、「なぜ、そうなるか?」の発想があったかはどうか。
母「だから、どうして、この答えに?」
子「どうしてって、そうなるから。こうなるから、こうなの!当たり前でしょ」
「つめこみ学習の弊害」ですとか「受験害悪論」ですとか、ぞろ出てきそうですが、そう深い話でもありません。
わが子は単に説明がへたくそな「ふつうの子」であっただけ、ただそれだけの気がします。現に中学生になった今は、それなりに論理的な説明もできるようになりましたし。
かつて思い描いていた「あと伸び」像とは少し違うかもしれませんが。
言いたいのは、子どもに「知的好奇心の萌芽」を感じられないと、なんとなくガッカリするものですが気にすることはないってことです。
「あと伸び」とは、そうハードルの高いものではない。
そもそも育たない生命体なんていません。
どういう資質の持ち主であれ、それがどういう方向であれ、ヒトであろうと動物であろうと植物だろうと、生きている限り、伸びると決まっているのですよ。
メダカの生態や虹の発生する仕組み、スチールウールの燃焼実験に感動を覚えなくとも、いつかどこかで何かに感動する時は来ます。
「あと伸びする子」というのは単に言葉のレトリックに過ぎません。そこに惑わされぬよう。
ファーブル少年のように「なぜ?」「どうして?」を連呼する小学生は決して多くはありません。
赤毛のアンのように「初めて」「知った」ことに目をキラキラ輝かせる小学生も決して多くありません。
大人にとっては残念ながらそれが事実であり、子どもにとっては幸いながらそれが事実なのです。
後のびの代表格、ファーブルや赤毛のアンは中学受験に向くのか?
その一方。
世の中には「知的好奇心の高い子」や「日々の学びに喜びを感じる子」たちが確かに存在します。
「あと伸びなんて言葉遊びだ」と言ったところで、キラキラ小学生に羨望を感じる心は変わらないわけで。
4つ違いの姉妹を持つママ友がいました。
姉は賢く難関校に入学しましたが、妹の方はさらにその上をいく天才型でした。
幼少のころから図鑑やら本やら、一度読みだすとものすごい集中力でね、1時間、2時間と飽きることなく一人で見ているわけです。
科学的なちょこっと実験の類も教えると面白がる。目をキラキラさせながら、自分でもすぐにトライしたがるわけです。何度も何度もね。
姉も中学受験をしていますから、その妹も受験するのだとばかり。が、その母は中学受験を選択しませんでした。
なぜか?
「確かに妹にはものすごい集中力がある」
「けれど、自分の好きなものだけ。興味がないと5分と続けられない」
「逆に興味が湧くと宿題を放り出してもそっちに没頭する」
「学校の成績もすでに波がある。漢字や計算を嫌う」
「新しく学ぶことは好き。けれど、理解したと思ったらもうやらない。復習やルーティン作業ができない」
「中学受験はどんな天才でも反復が命」
「だけど、ムリにコツコツ作業をやらせると、うちの子の良さが失われそうだ」
「よって、中学受験はしない」
ということだそうです。
確かにね。ファーブル少年や赤毛のアンはステキな子どもたちですが、中学受験には向かなさそうです。
ファーブルは模試などでイイ線いって大人の勧めで御三家クラスを志望しそうですが、そのあげく、オチル運命のような気がします。
アンにいたっては万年下位クラスの匂いがします。
小学生の頃はどうだったんでしょうかね??
ともあれ、ぶっちぎりの知的好奇心があったとして、それだけではうまくいかないってことです。むしろ、ぶっちぎりであるくらいなら、勉強よりもそっちの才能を伸ばした方がいい場合もある。
全て「ほどほど」の方が中学受験には向いているでしょうし、才能をつぶすリスクも少ないってものです。
先生や親の「指示待ち」ではダメだというけど、逆に先生や親の言うことを聞かず「自己流でどんどん進めてしまう子」はそれはそれで成績が上がりにくいですからね。
お子さんが「勉強キライ!」「知的好奇心ナシ!」「目的意識ナシ!」だとしても、要は程度の問題です。
「あと伸びしない子」が厳密に存在しないように、その点だけで「中学受験に向かない」とは言い切れないということですね。
「体力」と「学習習慣」があれば、中学受験は乗り切れる
いるでしょうね。
第一に、体力のない子は難しいです。夜、塾行って帰ってご飯とお風呂みたいな生活が始まるわけですから。
「低学年の頃は病弱だったのに、高学年ではすっかり健康体に!」って子もいますからどの時点で判断するかが難しいところですが。
第二は「向かない」というより、「絶対に成績が上がらないだろうな」くらいの特徴ですが「学習習慣がついていない子」は厳しいです。
宿題やらない、机に向かわない、向かっても10分くらいで飽きてウロウロとか。
おそらく低学年から「中学受験」を考えている、迷っているような親の子は「学習習慣」は十中八九ついていますね。
逆に「急きょ、思い立って入塾」とか「周囲がやっているから入塾」となる子は学習習慣がついていない場合もある。
となると、偏差値40台を初っ端からうろつく確率も高い。
となると、親は「月謝を捨ててる」くらいの気分になる確率が高い。
逆に言えば、勉強が嫌いでも「学習習慣という型」さえ身についていれば、中学受験は乗り切れます。習慣なわけですから、親のやりようによって身につけられる気もしましょう。
実際のところ、「向かない子どもよりも、向かない親がいる」と言った方がしっくりしますね。その件についてはいずれまた別の機会に。