本日は中受残念組のその後の話。
数年前、ネット上で全落ち体験談を見かけました。
コメント欄には「大学受験と違って浪人はないし、公立行けばいいだけじゃない」とか「こういう時こそ親が大らかに」みたいな正論も。親切心からです。
その通り!
なんというおめでたさ!なんという呑気人間たち!
そんなの、受験親はわかっているじゃないですか。
わかっているけど「今の今!3年頑張ったのに今の今!ものすごく苦しいこの事実をどうしてくれよう!」そう思うわけです。
とはいえど。
がっくりの感情変化は人それぞれですね。人生の終わりのような、絶望的な気分になるかと思えば、つと吹っ切れる瞬間もある。
「大学受験と違って浪人がないのだから大丈夫」と言われ、イラっとすることがあれば、元気になることもあるかもしれない。人によって聞きたい言葉は違うわけです。
逆に言えば、本ブログもね、よかれと思った私の言葉があなたをイラっとさせるかもしれないのです。
伝える手段が一方通行なわけで、わしは勝手にベラベラしゃべります。あなたの顔色を見ずにですね。
それゆえ「知ったようなクチを聞くなよ」などと思いましたらどうぞ気にせず、サイトを閉じてください。
あなたの感情を優先してください。その状態のまま、そのままで。
では、行きます。
「気分転換とか、まだムリです」という方はこちらをどうぞ。
中学受験で泣いた子は次の受験で成功する
「オマエの方こそ、おめでたいよ!」そんな声も聞こえてきそうですね。ですが、結構な確率で本当です。中学受験で泣いた子ほど高校受験や大学受験に成功する。
知人で中学受験に全落ちした子は高校受験で難関校に合格しました。
また、都立中高一貫校しか受けず、玉砕した子の母は「せめて、ウカル私立を受けさせてあげればよかった」と後悔しましたが、今となっては後悔したことすら覚えていないようです。
というのも、中学受験の勉強はムダにはならず、公立中では常にトップクラス。そうして現在は都立最難関クラスの高校に通っているからですね。
なんだかんだ、わしの周囲では中受残念組はその後、飛躍するパターンが多い。こうした話をよく聞くのも当たり前かもしれません。
3年間がんばったのに志望校に入れなかった。悲しいし、悔しいし、怒りも湧きましょう。
「自分より成績の悪かった子が受かっていた!」そんな事実に直面する子もいるでしょう。「そりゃないでしょ!」とか「こっちはこんなに頑張ってきたのに」と思うでしょう。
ええ、叫びたくもなるでしょう。
怒りはやがて落ち着きますが、それは表面だけでのこと。水面下では硬い芯となり、強い軸となります。
高校受験や大学受験、次の受験で勝たない限り、「中学受験のショックは晴れない!」という子もいます。本人も意識していないのに勝負の際は「今度こそ、勝ってやる!」とやたらと力が入ったりね。
でも、いいのです。それでいいのです。それがパワーです。
「ここで会ったが100年目!」ではないですがルサンチマンパワーは受験において最強のエネルギーになりえます。
もちろん、今は戦う気力すらないかもしれません。受験と聞いただけで気分が悪くなるあなたもいることでしょう。
ですが、頭の隅で覚えておいてください。お子さんの悔しい気持ちは芯になります。役立つ時がきっと来ます。
父に励まされた岡田将生と開成落ちの秋元康
さて、知人ネタは高校受験の成功までです。大学受験やその先の成功者は年齢的にまだ出てきていませんので、経営者や文化人、芸能人の中学受験失敗例を挙げていきますよ。
よくご存じですこと。第一志望がダメで芝浦工業大附属に進学し、在学中にデビューしました。
これ自体に大したオチはないのですが、父親とのエピソードを尋ねられ、出てきたのが中学受験であったことが感慨深い気がしますね。
親にとっての中学受験は「子どもが大きくなる手前の、最も濃い記憶」だったりしますが、子どもにとってもそうなのかと。
デビュー当初は「ぽっと出のカワイイ顔した男の子」以外の何物でもなかった岡田くんですが芸能界ではや十数年。中学受験の失敗も遠き彼方、そのクセのなさを活かし、主演級から脇キャラまで役が来る、よきポジションにつきましたね。
さて、お次はもう少しオチある話で。開成落ちのあの人です。
メンバーや運営のトラブルが取沙汰される昨今、名前を出したものかどうか迷うものの、あの人とは秋元康のことですね。
彼は当時、上位層しか通えなかった四谷大塚の中野校舎に在籍していました。模試での開成合格可能性は80%。将来の夢は官僚で「東大文Ⅰくらい行けないとシャレになんねーし」みたいな会話をするようなイヤーな感じの小学生だったようですよ。
しかし、まさかの不合格。
本人いわく“半ズボンの挫折”です。中学受験者が多くはない時代のせいか、開成NGでそのまま公立中に進学。小学生の頃はテレビも見ず、マンガも読まず、予習シリーズが友だったような生活がここで一変した模様。
その後は中央大附属高に入学します。「この学校が大好きだった。メチャクチャ楽しかった」というのが卒業後の談ですが在学中に放送作家としてデビュー、現在に至ります。
成功したのちもかなり後年まで「今(自分が)やってることは全部夢。開成→東大がオレの本当の人生!」だと思っていたとか何とか。
天にいわせりゃ、強い運のある人は「中学受験ごとき、どうでもよい」のです。むしろ天命に選ばれて落とされる人もいる気がしましょう。
史上最年少の上場社長も中学受験は失敗
お次は経営者です。
史上最年少の25歳で上場した株式会社リブセンスの村上太一。
確か今は30台後半くらいになってますかね。求人サイトや不動産サイトを運営し、400人強の従業員を抱える会社の代表です。
こんなにニコニコしている社長は他にいまい、というくらい、いつも笑顔の村上社長ですが中学受験には失敗いたしました。
第一志望の不合格を知るや、二度目、三度目の試験を受けることなく地元の公立中へ。
が、中学受験をしたことで知的体力もつき、普通にしてても常に上位だったそうですね。同時に野球部でガンガン汗を流し、区のマラソン大会でも優勝します。
それはもう、親が目を細めたくなるような文武両道まっしぐらな中学時代。推薦で早稲田高等学院に進み、そのまま早大政経学部に入学、19歳の時に起業します。
そんな彼は前出の書で中学受験をこう振り返っています。
「やらされていた感が強く、好きだった算数以外はあまり勉強しなかった」
「中学受験に失敗し、はっきりわかったのが“やらされる”のは絶対に嫌なタイプだということ」
「人にあれこれ言われてできるようになるタイプもいるかもしれない。だけど、自分は違った」
そうと言われりゃ、耳は痛いですよ。
とはいえど。彼がもし志望校に合格していたら、そこに気づくこともなく曖昧なままに終わっていたかもしれません。受験成功者は振り返らないですからね。
7年後、起業家の道を選んだのは、遡れば、この時の失敗、この時の気づきがきっかけになっていたのかもしれないとね。
受験に失敗した子どもたちは、ものすごくいろいろなことを考えます。親には言わないかもしれませんが心の奥で、ああでもない、こうでもない、と考えます。
その時、12歳の心は何かを発見するのではないかとね。合格していたら気づきもしなかったようなことをね。
そうそう、ビジネス本ですが、うちの娘も面白かったようですよ。息子目線で親の教育についても触れられていますから参考にもなるでしょう。何より、この福顔は幸運を運んでくれそうです。
第2、第3志望はむしろおいしい?『ふくしま式』著者の実体験
さて、村上社長は公立に進みトップクラスの成績を取りましたが、滑り止めだった私立に入学したことでトップクラスになった方もいます。
なぜ中学受験で第1志望に落ちた子が、その後の人生で輝いたのか
ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕
ふくしま式で有名な福嶋隆史氏の中学受験のエピソードですね。天下の国語教師も中学受験で第一志望、第二志望で失敗。第三志望の攻玉社に入学しています。
しかし、これが却ってよかったそうで。
第一志望だったらギリギリの成績だったかもしれないところを、第三志望だったがゆえに最初の試験は学年1位。その後、高3までずっと30位以内をキープ。先生たちにも一目置かれ、自己肯定感も高まったと。
実体験から第2志望、第3志望に入学することは学力にも余力を残し、むしろ中高生活を充実させるのではないか?と書かれていますね。
麻布落とした劣等感から東大入学した初代バチェラー
中学受験の失敗談をもう一人。
「買わないインテリア」をコンセプトに家具のレンタルサービスを運営する株式会社CLASの久保裕丈社長です。
今回が二度目の起業で一度目はファッションサイトを運営し、その後、売却いたしました。
そうでしょうとも。こちらは子どもに読ませなくて結構ですよ。
彼は1度目の起業と2度目の起業の間に婚活リアリティ番組に出演していましてね。
いっとき、Amazonのトップページを開くとたびたび出てきた『バチェラー・ジャパン』。その日本初代バチェラー(独身男性)に選ばれた方です。
「いったい全体どんな内容か?バラのジャケ写で想像はつくけど」、そういうあなたにお答えしますと、高学歴イケメンセレブのバチェラー(この回では久保さん)を巡り、25人の女性たちが争うという番組です。
言いたいことはわかりますよ。
そんな番組をなぜ中学受験ブログで、しかも、よりによって励ましの章で紹介するのかと。
この久保さん、この写真と番組内容を鑑みますとチャラ男にしか見えなくなる恐れがありますが、折々で苦労もしてきているわけです。
最初の会社では資金繰りが上手くいかず「社員に給料払えないかもしれない」恐怖に悶々としたりね。その後、資金調達には成功したそうですが「マズい!」「ヤバい!」みたいなギリギリは経営者なら常日ごろ。
ともあれ、起業家としての苦労はまた別の話になりますが、彼は中学受験に失敗しています。第一志望だった麻布を落とし、入学したのは第三志望だった海城中学だったそうです。
それはね、第三者的な立場でいえば十分だと感じますよ。
けれど、そういう問題ではないのです。不合格の悲しみに偏差値の高低はまったく関係ございません。
むしろ最難関になるほどに周囲の期待や注目も大きくなるでしょうから、ダメ時のショックはプライドやママ友へのけん制やらが入り混じり、より複雑化しやすい気がしましょう。
話を戻しますと彼いわく、自分は塾のクラスで上位には確かにいたけれど「ギリギリ」での上位だったと。なので、勉強にはずっとコンプレックスがあったと。大学受験の際も予備校で麻布の生徒に会うと卑屈な気持ちになった、と。
で、その劣等感をバネに高3の時に猛勉強しましてね。東大に合格し、その後は東大の大学院に進みました。
言うと思いました。
なお、高2くらいまでは受験失敗の反動なのか、ほとんど勉強をせず、際どい点数を取ったりしていたらしいですよ。
まぁまぁ。別の人間ですから、さまざまなケースがあるというわけで。
久保さんの場合、中学受験の失敗を大学受験まで精神的に引きずっていたようですね。
『ズルズル失敗引きずり』も思うほど悪くありません。先述した「怒りの芯」は、「戦いの芯」に変わります。麻布の生徒に会ったことがきっかけかはわかりませんが、コンプレックスをいい方向に刺激する何かがあったのでしょうね。
ちなみに補足すると『バチェラー・ジャパン』シリーズはかなりの確率でウツウツ気分を忘れさせます。くだらなさは人生を救います。
受験にはまったく関係のない、だからこそいいのかもしらん。Amazonプライム会員の方は全話無料なので騙されたと思って見るのも手。
バチェラー・ジャパン 予告編
「あ~あ」という気分はそのままに
もちろん、動画みたりして瞬間的に気分転換できても、親の方はしばらくは「あ~あ」という気持ちが続くでしょう。中学に入学した後も最初の頃はイヤーな気分を引きづるかもしれません。
いったい、それをどうしたら?
と思うかもしれませんが、どうぞそのままで。周囲にどう思われようと「あ~あ」と言った方が少しだけ気分は楽になりませんか。
動画見たり、爆買いしたり、髪型変えたり、あるいはリベンジのための塾探したり、夫にたまに八つ当たりしたり、ご意見番よろしくバラエティに出てる芸人の悪口言ったりして日常を過ごすうち、「あ~あ」濃度は少しづつ薄くなっていきます。
昨今の長寿社会を思えば、子どもの人生なんてあと90年くらい続くかもしらん。そう思えば、やはりだいたい大丈夫な気もします。
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