こんにちは。中学受験100%ウカルログ管理人ことハンドレッドの友です。前回に続く「娘はいかに理科が苦手になったのか」第二弾です。

一応、「未就学児・低学年編」でのわが家のダメ教育をおさらいしておきます。
① 親自身が「虫恐怖症」
② 親自身が「理科グッズを買った」だけで満足してしまう
③ 親自身が「理科ニガテ」なのに実験のリハーサルをしない
④ 子に実験を見せるも、モタついて「理科の楽しさゼロ」体験へ
⑤ やったらやりっぱなし。リマインドも実験の再トライもなし
遺伝子や環境を無視し、子を「理科好き」にさせたいなら親もそれなりに頭を使わなきゃダメだったということですね。そもそも「やりっぱなし」ならやらなくても同じような。そのような。

ですよね。
今回は中学受験期のお話をいたします。
わが家では、「理科ニガテ」っぽい子どもをいかにその方向へと加速させてしまったのか。はたまた、踏みとどまる方法はあったのか。皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
わが子の4、5年の成績はどうだったか?
さて、中学受験をスタートし、4年、5年生での理科の成績ですね。
塾内の最低偏差値が39で最高偏差値が58。
偏差値ですが、早稲アカや日能研くらいの感覚で考えてください。サピックスではないですよ。20近い幅があるものの、この時期の乱高下は大した問題ではありません。



勉強すれば取れるし、やらなければ取れない。特に4年生で理科に本気で取り組む生徒は少ないのでね。頑張りが反映されやすい分、算国より力を投入し過ぎると後々困ることになります。








おっしゃる通りのハンドレッド。
私の意見はいったん脇へと置き、理科の現実だけ語りましょう。
4年生の時の勉強は算数が中心でした。理科と社会は日替わりで10分、15分やる程度。普段は小テスト対策をするくらいなもの。あとは(いわゆる)組み分けテスト前にまとめてやる程度。
で、子の通う塾は教科ごとにクラスが分かれる方式だったのですが、理科は3年間通じてほぼ真ん中クラスにいました。
偏差値40台のことが多かったので真ん中でもギリギリでの真ん中です。先の偏差値39を取った時は一番下のクラスになりましたがね。



別に。
4、5年時は「算国良ければ、まぁオッケー!」みたいな家庭だったのです。できない理科を「なんとかなさい!」と怒鳴ったこともなかったですし、できないからといって算数のように親があれこれ秘策を講じることもありませんでした。





私の遺伝ならそうなるはず。ただ、理科はダメでも算数はまずまずだった事実を思うと、「努力」だったり「掛ける熱量」で結果は違ってくるってことなのですね。
理科と算数でその熱量がどれだけ違ったのかは後述しますが、先に5年後半から6年生の成績を見ていくことにします。
「理科はやってないから出来なかった」わけではない?
2日おきに10分やるとかその程度だった理科を、「そろそろ本気で取り組もう!」と思ったのは5年の11月頃でした。
塾の先生からはその年の夏くらいから言われていたわけですよ、「理社とも平均7割は取れるようにしてほしい」とね。7割取れれば偏差値55~60程度。
しかし、その時点では理科も社会も50切りがたびたび。なんとショボい成績でしょうか。



勉強時間が少ないからだと、その時点では思っていました。やれば普通に上がるはずだと。実際、社会は上がりましたしね。
で、理科です。5年11月から毎日30分取り組んでその月のテストは偏差値54。翌月も偏差値54。これには少しイライラしてました。
「中受の成績がやっても、やっても上がらない」のは算数で経験済みです。しかし、理科で50半ばなら、テスト前にしか勉強しなかったこれまでだって取れたことはあったような。



かもしれませんね。
理社については「4年の最初からきちんと勉強する子」がいて、「6年夏くらいからあわてて詰め込む子」がいます。この二者は想像つきますね。
けれど、もうひと方、その中間を取り「5年秋くらいからしっかりやる子」も一定数いるのではないかとね。
5年秋は中受の折り返し地点ですし、サピックスや四谷大塚でもこの時期から公開模試が始まります。難関校狙いならターニングポイントのひとつになりそうです。


とはいえ、理社に限っては資質のある子なら、6年からでも相応の結果は出せるのかもしれません。少なくとも算国のような「もう間に合わん!もはやこれまで感」はない。
けれど、資質のない子は。
やっても、やっても、やっても取れません。その度合いは後期になるほど大きくなる気がします。
「本気でやり始めたのに全く上がらない」という悪夢
連続・理科偏差値54でイライラしていた母ですが、底はもっとずっと先にありました。
5年最後の模試はやったのにも関わらず偏差値48をマークしました。



これ、「範囲あり」のテストですよ。繰り返しますが、平日30分、休みの日は2時間とか3時間とかやってきたにも関わらず!!


「範囲あり」テストでこの体たらくですから「範囲なし」なら、いか程でしょうか。
この後のことは何度も何度もブログで書いてきたことですが、5年1月から6年9月頃まで、どこの公開模試を受けようと、どれだけ勉強しようと、理科の偏差値は43から46を行ったり来たり。
6年になる頃には単元を絞り、「化学の計算だけ」1か月以上トレーニングみたいなこともやりましたが、とにかく結果が出ません。
6年夏には理科だけで100時間以上勉強しましたが、夏前と夏後の合不合の偏差値はわずかに1上がったのみ(偏差値43と44)。
ショボいというか、ショボいというか、そんな言葉すら使う気になれません。



おっしゃる通りのハンドレッド。
事態が好転したのは、「これはヤバい!」「さすがにヤバい!」と、昔ながらの「ヤバい」の意で焦燥感に囚われていた6年10月。


10月の合不合では突如として偏差値が10浮上(戻ったともいえますが)し、55をマークしました。「ならば、安心」とはもちろんなりませんが、当初はチンケに思えた50半ばの数字が神々しく思えたものです。
理科だって「全体の流れ」を見る目は必要です



一番は子の苦手を見くびっていたことですかね。
「理科は嫌い」「理科は苦手」、それは4年の頃から気づいていたわけです。しかし、4年、5年前半の組み分けテストでは「意識して勉強をすれば50半ばを超えることもあった」。
ならば、ガツガツ勉強さえすれば「偏差値58~60くらいはどうにかなるであろう」とね。楽観視していたわけですよ。








聞きたいのは私の方だったでしょう。
ですが、冷静になって振り返ってみれば「理科という学びの構造、全体の流れを全く理解してこなかった」という点に収束される気がします。
どうしてそうなるのか? を含めてね。
ピンポイントで「答えとなる事象」だけを覚えても通用するのはその時のテストだけ。応用に進むにつれ何の汎用性もなくなるわけです。
歴史の勉強は「細かな暗記事項より先に流れを覚えよ」といいますね。そこで、細かな暗記事項に入る前に歴史マンガを読み漁ってきたりもしたわけで。


理科もこうしたプロセスがいっとう大事なのだと思います。
その点で、塾の授業は優れています。しかし、聞いていなければまったく意味がありません。
理科の場合も学習マンガは出ておりますが、正直なところ、理科嫌いな子が進んで読み続けられる作りではなし。そこで、うちでは、理解を深めるために学校で使うような安い実験教材を買い込んで、家でやったりもしたわけです。


子どもの苦手克服には「親の覚悟」が必要
が、どうもうまくいきませんでした。


「酸性になるはずの炭酸水」が何故か「中性」になったりね。実験後、「この結果を覚えないように!」と子どもに言った記憶もあります。



そう、振り返れば、同じ失敗を繰り返してきました。親自身が理科ニガテな場合、実験は結構な確率で失敗します。
これなら、やらない方がマシってもの。その目的が成績アップならね。


ですので、苦手な親が実験をやりたい場合は教科書と同じ結果になるように、しっかり用意をすること。
場合によっては子どもとやる前に親だけでやっておくこと。可能なら、テストに出そうな段取りをチェックし、そこを強調しつつ実験すること。プレゼンテーションと心得て、入念な準備をすることです。



おっしゃる通りのハンドレッド。
遡って自分にこれができるかというと、できる気はしません。私にはできないけれど、あなたはやりましょうね、という話です。
そもそも「子が苦手」な科目は「親が苦手」である確率も相当に高いわけです。「子の苦手を親が克服する」というのは覚悟なくして出来ないのですね。
6年から勉強を見ても親はまったくわかりませんよ?



ありましたよ、私なりには。
でなければ、数十冊もの市販の問題集を買い込んで「親が始終、類題探しに明け暮れる」なんてことはできなかったでしょう。


理科も算数のように、親がもっと真剣に「苦手対策」を講じていたら結果は違っていたのかもしれません。


問題集といえば、6年春、慌てて理科の問題集を買いあさった記憶がありますね。
が、この時期からの類題探しは「親の方がまったくわからない」わけですよ。既に応用段階に入っていることもあり、問題の肝がわからない、子どもの苦手が多すぎて何が苦手なのかもわからない。
6年になって焦って勉強を見ようとする親は絶望的な気持ちになるでしょう。





今回の話で、そう思う4、5年生もいるかもしれません。算数のように理科に時間を投じていれば、壊滅状態に陥ることもないのだなと。
ですが、わが家の場合、それは現実的ではありませんでした。理科をガツガツやらなかったからこそ、4年時の勉強時間は「1日1時間半程度」で済んだわけです。
理科を最小限にしたおかげで、4、5年時に「(テスト範囲以外の)算数の徹底反復」も維持できたわけですからね。
もちろん、これは偏差値60前半の女子校だったからの作戦です。男子校なら理科はもっと難しくなりますし、偏差値65以上なら言うまでもなく。



結局は他教科とのバランスなのですが、「壊滅の予感」を避けたければ、子どもの勉強時間を増やすのではなく親の時間を投入するしかないってことです。あるいは親のお金か。


この結論は嫌われますね。
塾の先生はこんなこと絶対言いませんし、教育評論家の人は眉をひそめるでしょう。書いている私だって「親がかり過ぎ!」と口角泡飛ばしたくもなりますよ。
要は親の時間を投入するか、家庭教師かってことです
話を少し戻します。
算数苦手を克服するために私がやったこと。
子の苦手箇所を徹底的に洗い出し、類題をこれでもかというほど解かせました。
そのためには塾のテキストを日々確認、親が解くこともありました。問題コピーも親がして、マル付けも基本的には親がする。間違えた問題はその日のうちに別の類題コピーをやらせたり。
これって、実に時間が掛かります。
私は一応、仕事もしているのに「日がな算数のことばかり考えている人間気分」に陥りました。


もちろん、全教科でこれをやる気はなく、他教科は基本的に子ども本人に進行を任せていたのですね。
得意な教科ならそれでも意外となんとかなります。得意だからといって一切問題が発生しないわけはなく、その時々で親の出番が増えることもあったわけですが、それはさておき。
理科にも親の時間を投入する覚悟があるなら、お子さんの勉強時間を最低限に抑えつつ、かつ、苦手から脱却することもできるかもしれません。親の時間を割けないのなら、家庭教師待望論が浮上します。



ありそうな意見です。
教育において、親が先回りするのはよくない。私だってそう思います。「子の勉強を見たくない」時には特にそう思いました。


ともあれ、多くの場合、この考えは正しいです。中学受験をするつもりはなく、中高で様子を見つつ本人の学力に合った大学に行けばよい、という場合は特に。長期視点に立って考えるなら特に。
しかし、これを読んでいるあなたは中学受験をさせますね。なおかつ、子どもは既に理科が苦手な感じ。
自発的に得意にするには時間が足りません。
ならば、正論は無視するしかありません。
低学年に戻ってやり直すことは出来ないわけです。
苦手をマシにするためには、子どもが気づかない弱点に大人が気づいてあげる必要があります。
苦手をマシにするためには、子どもには考えられない効率を大人が考えてあげる必要があります。
それを「親がやるか、塾の先生がやるか」ってことだと思うのです。たくさんの生徒を抱える塾の先生だとなかなか難しいので、現実的には個別や家庭教師ってことになるのでしょうがね。
「弱点に気づく」「効率化を図る」くらいなら親でもできます。思うより、ずっと大量の時間が必要となるわけですが。



まだ老いらくではないでしょうが、悪くない考え方だと思います。
この年での「学び」はなかなか面白いものですよ。生活に密着した理科は今だからこその「そういうことだったか!」感をもたらしてくれそうです。
親が勉強を見てきた子の中学入学後は!?
ところで。
中受で親が先導した場合、その後が気になる人もいるでしょう。中学入学後の子どもの成績とかね。自立心みたいなものとかね。
正論を思うと、まったくダメになりそうな気がします。



わが子の一例に過ぎませんが、「先導しまくった算数」は入学後、親はまったく関知しなくなりましたが勝手に勉強しています。数学がメチャクチャ良いわけではないですが、時にいい点を取ることもある。


その一方、「先導に失敗した理科」はこちらもまったく関知していませんが、殆ど勉強することもなく相変わらず悪いです。幼児・低学年編の冒頭に書いた通りですね。
影響があるとしたら、「親が見たか、見ないか」よりも「この科目は得意だった」「苦手だった」などの本人の先入観の方が大きい気がします。
要は大人の力で「得意」に引き上げ助走をつけておけば、そう悪い未来にはならないのではないかとね。勝手に思うわけです。
以上、ご参考までに。