こんにちは。中学受験100%ウカルログ管理人ことハンドレッドの友です。
今の今、6年生が怒涛の日々を送る一方で、「これから中学受験塾に通うか、どうか?」「教育に興味はあるけど中学受験はなんだかなー。可哀想かなー。怖そうだしなー」等々、迷っている方もいらっしゃると思います。
中学受験ブログのパートナーとは思えない発言ですね。読者の多くをいきなり敵に回すようなことをなんとまぁ。
ただ、言いたいことはわかります。
自分も中学受験親ながら、塾や学校の説明会、模試会場で会う親たちにイヤーな感じを覚えたことが何度あったことか。

おそらく、向こうも私を含むその場の親たちにイヤーな感じを覚えたことでしょうがね。教育熱心な人々はそれ自体何も悪いことではないのに、時におそろしい印象を与えがちです。
ともあれど。
そんなイヤーな感じの場所へ、何故にわが子を通わせたのか? わたくしが中学受験を決めた背景を綴りたいと思います。怒涛の日々を送る受験生にもフレッシュな感情を思い出してもらえましたら幸いでしょう。
中学受験で子どもの情緒がおかしくなるって?
子どもが塾に通い始めたのは4年になる少し前のことでした。中学受験のスタンダードコースといえば、まさしくその通り。

けれど、当初は「5年から」「あわよくば6年から」塾に通おうと思っておりました。というのも、低学年の頃は「都立中高一貫がいいかなぁ」などと考えていたからです。
その理由は金銭面もさることながら「私立受験はなんか怖そうである」というイメージによるものでした。
娘が中学受験の頃は中学受験の本ばっかり、読んでいたわたくしですが、娘が低学年の頃は低学年向けの教育本ばっかり、読んでいたのですね。
で、当然のこと、勉強本と題していても「勉強よりも情緒」みたいな、当たり前のことを書く著者が圧倒多数なわけです。それにプラス「アンチ中学受験」みたいな本も時々出てくるわけです。
おっしゃる通りのハンドレッド。
結局、周囲の受験生で情緒のおかしくなった子どもは一人もいませんでしたが、活字で読むと怖くもなりますでしょう。なおかつ、「6年で8時間勉強した」みたいな話を読みますとね。ありえない、ありえない、としか思えませんでした。
というわけで、小3の頃は、私立恐ろし、中学受験塾怖し。

私立受験は「つめこみ式」と揶揄されることもありますが、一方の都立は現場思考型ともいわれますね。そのテスト形式は「情緒を重んじつつ、勉強もさせたい」教育ママとしては口当たりがよかったわけです。で、桜修館とか小石川あたりに行こうかなとか。
おっしゃる通り。
私立受験でも理科では現場思考型が増えていましてね。うちはまったく取れませんでしたのでね。あのまま都立に向かったのなら大失敗が見込まれたでしょう。ここで、ハンドレッド先生が燃えることもなかったわけです。
学校で手を挙げない子が塾では発言する不思議
話を戻しますが、時系列的には小3の頃。都立中高一貫を目指しつつ、無料の学力テストだとか塾講習を体験してみたりですね。
後者に関しては冷やかし半分みたいなものです。
「塾に行かないにしても、その年齢時点で最低限求められていることを知りたい」「中学受験を考える家の子たちのレベルを知りたい」とかね。
おっしゃる通りのハンドレッド。
読み返して反省しました。こういうことを考えつつ、冷やかし体験に来ている親がいると思うと、ぞっとするでしょう。

入塾説明会の怖さの正体はわたくしでした。アンチ中学受験を振りかざしつつ、「小学生には机上に終わらない勉強を」「さまざまな体験を」などと正論っぽいことを言う親こそ、怖いのですね。
ともあれど。
自分の怖さになど気づきもしなかったあの頃、ある塾の授業に非常に感銘を受けました。想像していた「つめこみ学習」とは異なり、面白いのに、ムダがなく、同時に子どもの考える力も伸ばせそう。
小学校ではほとんど手を挙げない娘でしたが、体験授業では何度も何度も発言しました。これで、母の心を鷲掴みです。

保護者説明会に出席しました。
塾のパンフレットと一緒に「入塾申込書」を配布され、ほんの少し、げんなりしました。
先生の話はわかりやすかったのですが、その話を熱心にメモったり、PCに打ち込んだりしている保護者を見て、またげんなりしました。
「入塾申込書」をその場で記入している人の多さにも、またまたげんなりしました。
おっしゃる通りのハンドレッド。
結局、「塾はやめよう」と決心しました。
しかし、その決心はすぐに崩壊いたしました。「通いたい!」「通いたい!」娘がとても塾に行きたがったためです。よくいえば恬淡、悪くいえば無気力にすら思えていた娘の懇願は母の心を鷲掴みです。
わたくしは申込み書に記入しました。一方で、それを提出した時、「あーあ」と感じたのも覚えています。
ついに、中学受験をやってしまうのかと。
睡眠時間削って勉強して、鼻血と血尿が出たり、情緒不安定な小学生がバット振り回したり、放火したりするような中学受験をやってしまうのかと。

本気にしないでください。
終わってみると、そのような子どもは周囲にはいませんでした。中学受験経験がない親ほどナィーブになりがちですね。「中学受験害悪論」みたいなのがね。受験そのものを重く捉えすぎるとかね。私だけかもしれませんがね。
中学受験の感想をいうなら「楽しかった」、それに尽きます
怖そうに思えた受験塾でしたが始めてみれば、それも一つの小学生の日常に過ぎませんでした。日常ですから新鮮だった塾通いもやがてマンネリ化します。
受験体験記には「塾が楽しくて仕方がない!」という子どもが出てきたりしますでしょう。うちも最初こそそうでしたが、結局、4年後半になるとダラケ切ってしまいましてね。
受験体験記には「そんなに勉強しないなら塾、やめなさい!」と怒鳴ると「やめたくない!」と泣き出す子どもも出てきたりもしますでしょう。
うちは「塾、やめなさい!」と言ったら喜んでやめるんじゃないのか?と思われる時期もありましたね。

偏差値も20近く乱高下しましたし、季節講習の長時間拘束や課題の多さに「そこまでやんなきゃダメなのか」と思ったこともございましょう。
けれど、総括すると、わが家の場合、中学受験をしたことは子ども時代で最良の選択だったと思っています。
きれいごとはいいません。もちろん、結果は大切です。
だけど、もう一つ。これを指摘する人は少ない気がするのですが、中学受験をすると、親子関係の密度は上がります。
わたくしはずっと仕事をしていたため、子どもとの時間をあまり取れなかったのですが、中学受験では親が時間を取るしかございません。子どものために、時間を取るしかないのですね。
ムカムカしながら勉強見たりね、ために人間関係が険悪になったりね。テキスト投げつけたり、暴言吐いたり吐かれたりね。
だけど、二人の間には共通言語ができるわけですよ。
子どもがかつて好きだったもの、仮面ライダーやコロコロコミックやポケモンや、それらを微笑ましく思ったところで、親子の共通言語にはなりにくいですね。
しかし、中学受験。
これはすごい共通言語です。子どもが「勉強嫌い」だとしても、成績上昇は嬉しいし、志望校に合格したい。当然、親だってそうなのです。その目的に向けて一心同体なわけです。
そんなの、悲しいやんけ、思う人もいるかもしれませんね。
けれど、周囲はどうだってよいわけです。これは自分と自分の子どもとの物語なわけですから。
「スポーツを頑張って1番を取る子」は掛け値なしに誉められても、「勉強で1番を取る子」にはそこはかとないエクスキューズがついてしまう。ある程度、仕方のないことだとも思うわけです。私だって、保護者会で熱心な親たちが怖かったですしね。
それはそれとして。
子どもに並走していた3年間はアスリートとコーチのような気分でした。これまた、賛同者は少ないかもしれませんが、私は楽しかったのです。中学受験の感想を一言で言うのなら「楽しかった」、それに尽きます。
「よし、1月31日午後9時15分。受験勉強終了だ。佳織、ごくろうさま」
私は、説明できない涙が出てきた。
佳織は(中略)しばらくして、顔を上げ、私の方を見て意外なことを口にした。
「結構、楽しかったね」
――これが、1年5か月の受験勉強を締めくくる佳織の感想だった。
「下剋上受験」より
この本を読んで感化されたのか、あるいは、ふと出た言葉だったのか。受験の数日前、娘はわたくしに言いました。
「なんだかんだ言って、楽しかったね」と。

中学生になると子は親にまとわりつかなくなります。「一緒に何かをする」という機会はびっくりするほど急速に、めっきりと減ってしまうわけです。そんな時、あの希望と絶望のカオスにまみれた中学受験時代を思い出すのですよ。
今の今、カオスのさ中にいる受験生の皆さん、心外かもしれませんが私はみなさんがちょっとだけ羨ましいのです。
そうして、これから中学受験をするかもしれない皆さん、すると決めればカオスは避けられないでしょう。けれど、それも悪いものではございませんよ。怖そうに思えた保護者も話せば普通にいい人でした。



